体育大会/体育祭の記録 ~ 1960年(昭和35年)

開催月日

5月29日(日) 降水量 記録無し(0時~10時)、5.8mm(11時)、0.7mm(12時~16時累計) 最高気温 21.0℃
5月31日(火) 降水量 記録無し(5時~17時) 最高気温 16.6℃

年次

3年生 高13回  2年生 高14回  1年生 高15回

場所

市営グランド

軍制

2軍制(紅軍、白軍)

軍装飾

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スローガン

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競技

 

コメント

5月29日校内体育大会(市営グランド) 豪雨のため途中で競技中止、一同講堂に集合対策を協議、激論のすえ翌々日に続行を決定。31日四時限より残り種目を実施

「生徒会最大行事の1つである体育大会が去る5月29、31両日にわたり市営グランドで行われた。
29日7時40分人グラウンド、点呼、美しく飾り付けられた紅白応援団席からの入場行進、前年度優勝チーム紅軍からのカップ返還、大会宣言、諸注意等々、最後に紅白両応援団長の固い握手に割れるような拍手、かくて35年度体育大会の幕は切って落とされた。
今にも降り出しそうな空模様にもかかわらず、競技は両軍の応援と共に進行した。
体育大会になるときまって雨になるのが本校の例である。今年もそれが不幸にも的中して遂に途中から豪雨に見舞われて中止することになった。雨の晴れ間を見て続けた年もあったが、今年はグランドコンディションが全くゼロのため続行出来なくなった。
悪条件の下でこそ真価が発揮されるとある先生が言われたが、確かに当日の生徒の態度は立派であった。特に応援団の態度に好感が持てた。
中止後一同講堂に集合して対策を立てることになったが、応援団、体育大会関係者は後日延期を、一般生徒はそのまま中止を主張、激しく討論が行われ容易に決しそうになかった。しかし結局翌日は休日という条件付きで翌々日に延期ということに決定した。
一般生徒は休日が認められたので延期を納得したようである。
31日第4限より残り競技を実施、女子800mリレーから始められた。当大会呼び物の1つである女子玉入れや、騎馬戦に紅白両応援団から審判に対する強い抗議が出て、それを認められなかったので応援団の不満を買ったりした。なお予定プログラムの内、職員来賓タバコレース、幼児レースが除かれたが、結局4時過ぎすべて終了することが出来た。
優勝は白軍チーム、長年待望の優勝だけに白軍チームは大喜びであった。
途中中止となったにしては立派な出来栄えであった。ただ競技中に怪我人が1人出たことが大会唯一の事故であった。」(高田高校新聞 95号)(高田高等学校百年史 770~771ページより)

「点 滴」
▼さて、我校最大の行事である体育大会も滞りなく終了し、まずは大会役員の御苦労をねぎらい、選手諸君の健闘をたたえたい。▼体育大会というと、”はん”で押した様に雨にみまわれる我校であるが、その時こそ高高生の真価が発揮されることを我々は誇りとしたいのである。雨にたたられた時の役員、選手一般の一糸乱れない統一ある行動。ただ今年は、この体育大会の最中、変則国会ならぬ、突発的な生徒大会?が行われ、全校生徒の見守る中で、体育大会を続行すべきかどうか議論が交わされたのは、生徒会主催の体育大会としては、当然のことであった。▼激しい議論の末、翌々日に延期という運びになった。あの場合は、当然そうなるべくしてそうなったという感じであったが、それにもまして痛感されたことは、我々がいかに討論することに慣れていないかということだ。▼まだ濡れの乾かない状態で討論したのだから無理も無かったが、昨年度の生徒大会同様我々は先ず討論会においては自他の意見をしっかりと掴むことである。▼とにかくあの場合全員が意見を言うのが望ましいのだが、そうはいくまいから、せめて自分の考えを自分なりに心の中でまとめて、賛否の意をまじめに表すべきである。興奮して口からつばを飛ばしている発言者の勢いに押されて自分の意見も言えないようでは、なさけないではないか。自己の主張を相手によく理解してもらうかわりに相手の意見にも最大限注意をはらい、討論に勝つとか負けるとかは抜きにして、なんとか妥協点を見出す方向に事を運ぶべきである。一朝一夕にできることだとは思われないが、我々は常にそのことに留意しなければならない。(高田高校新聞 95号) (高田高等学校百年史 771ページより)

 

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