体育大会/体育祭の記録 ~ 1986年(昭和61年)

開催月日

6月2日(月) 天候 晴れ一時雨 降水量記録無し 最高気温 22.3℃

年次

3年生 高39回  2年生 高40回  1年生 高41回

場所

学校グラウンド

軍制

3軍制(赤軍、白軍、青軍?)

軍装飾

***

スローガン

「やるときはやります」

競技

障害物レース、100m走、走り高跳び、砲丸投げ、借り物レース、騎馬戦、色水レース(職員)、ウルトラクイズ、大玉おくり、宇宙遊泳レース、百足レース、みんなでJUMP(大縄とび)、ものほしレース、棒倒し、綱引き、各軍対抗リレー

コメント

前年6月27日にグラウンド改修工事完了  表土を剝ぎ取り、良質土を盛り土し、側溝を敷設。1984年11月11日に着工し、工事費1,900万円を掛けてこの日検査完了、引き渡し。

4月16日臨時生徒総会 清水雅之体育祭実行委員長承認

6月2日体育祭 於本校グランド 大会スローガン「やるときはやります」
今年から会場が本校グランドに移り、7軍対抗制から3軍対抗制に変わった。今年も応援団の練習のため夜間体育館を開放し、校外での夜間練習を禁止した。

七軍制から三軍制へ
………ここでこの年の体育祭も従来と変更があったので触れておきたい。従来は6月前半(それ以前は4月末)の時期に市営グランドを1日借り切って実施していた。本校グランドの改修工事が完了したのを契機に、久々に本校グランドで開催することになった。その場合の最大の問題点は、従来の七軍制を維持できなくなったことだ。七軍制とは1組から7組まで学年縦割りで七軍を構成し、対抗するということである。各競技種目にそれぞれの軍から選手を選んで得点を競うことはもちらんであるが、他に各軍はベニア板を十数枚つなぎ合わせた看板(デコレーション)を背景に応援合戦を展開する。バックスタンドを中心に応援席を七つ配置することは、本校グランドでは物理的に無理である。さらにメインの各軍対抗リレーなどは、七軍同時スタートで競えば盛り上がるが、コースを確保できない。紅白対抗戦でという案もあったが、三軍制で実施することとなった。七軍制では各軍の3年生のリーダーシップが勝敗の別れ目として決定的に重要である。だが三軍制ではいくつかの組が連合するので、3年生の各クラスの対抗意識もいくぶん薄れてこざるを得ない。ともかく清水実行委員長のもとでスローガン”やるときはやります”を決定して着々と準備にとりかかった。
もう1つは以前から問題になったのは、過熱する応援練習である。各軍の応援団のリーダーは1年から3年のクラスから選ばれた男女で構成されるが、応援合戦も審査され得点化されるから、本番間近になるとリーダーを中心とした練習に熱が入る。特にチアガールとなる女子はハッスルし、自軍の色を基調としたオリジナルの衣装をまとって応援団の中心に立つ。衣装作りも徹夜の大仕事になるが、ダンスの練習も間に合わなくなると夜遅くまで、高田公園の街頭の下などで鳴り物入りで繰り広げることになる。市民から見れば異常な光景が展開されるわけで、教師側も黙視できず、60年度から各軍応援団長の話し合いのもと、校外での練習を禁止した。その代わり夜間本校の体育館を開放し、教師が当番で付き添って練習させることになった。
6月1日、教育実習生も参加し、本校グランドでの体育祭も順調に(男子の棒倒しの競技では、負傷者が数名でて問題を残したが)終わった。 (創立120周年記念誌 78~79ページより)

 

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