体育大会/体育祭の記録 ~ 1989年(平成元年)

開催月日

実施されず。

年次

【3月まで】3年生 高41回  2年生 高42回  1年生 高43回

【4月から】3年生 高42回  2年生 高43回  1年生 高44回

場所

軍制

軍装飾

スローガン

競技

コメント

 3月7日に生徒総会・クラス討議を行い、また評議委員会の検討を経て3月15日の生徒総会クラス投票によって改革の大綱ができあがった。その改革点は(1)6月に高高祭を実施(3日間案)、(2)体育祭の中止、(3)球技大会7月実施というものであった。
当初、執行部としては新テスト対策として、高高祭を1学期に持ってきて、体育祭を2学期に変更する案を提出したが、討議を重ねる経過で、二転三転して上述の様になった。行事の改革をすすめようとしても、そこでは必ず受験体制の陰と管理的な体制を嫌う自由慣れした平成の高高生の気質がつきまとい、池亀(生徒会長)も苦悩した。ことに体育祭の中止は、本校の歴史にとって大きな変化と言わざるを得ない。一度中止されたものをもとに戻すということは極めて難しく、たとえ復活論が出てきても簡単には復活できないであろう。そう考えると池亀も「淋しさを禁じえなかった」と述懐していた。
この体育祭廃止にまつわる感想を、元体育祭実行委員長の今井幸弘は次のように述べている。それはまさしく平成の高高生というものをしのばせてくれるものである。

体 育 祭 考      三年 今井幸弘

 今年の体育祭は二度の全校投票の末、実行せずと決まった。
体育祭推進派にしてみれば、昨年の実行委員長が執行部員として廃止側に立った上、その後の体育祭復活討議で何も発言しなかったのは不可解に思えるだろう。その場を借りて弁明する。
去年体育祭後に行われたアンケートで、体育祭廃止派が現3年生中44%を占めたのが事の発端である。今年2月に発足した執行部は行事改革として6月に高高祭をずらすことを決め、6月の体育祭をどうするかについて議論が交わされた。
その中で体育祭廃止論が出たのは、前述したアンケートの結果から出た結論であって、2学期に行事をしたくなかったというのではない。また僕としては、このような執行部の伝統を打ち破るような提案に対して、様々な意見が出ることを期待していた。
そして討議後の全校投票の結果、「廃止」と決まった時も、僕としては、「様々な論議の末決まったことだから、これでいいんだ」と思っていた。ところがその後、卒業生、或いは佐藤先生の話を聞くにつけ、伝統行事を廃止した自己の安直さを悟り、元実行委員長の責任の重さを感じるようになった。今は正直言って複雑な気持ちだ。
では、なぜ廃止になったかを考える。人の話を総合すると、大体次の四つに集約される。

1)校則廃止から19年、自由慣れした「平成の高高生」が体育祭の管理的な体制を嫌うようになったこと。
2)去年の体育祭の盛り上がりの不足。僕は、実行委員長としてやれるだけのことはやったつもりだが、どうも手応えがなかった。その上、某軍のまとまりが悪く体育祭をシラケさせる原因になったことも否めない。(もっともあれは団長の責任ではない。団長になるべき力のある団長を選ばなかったからダメになったのだ。)
3)行事は面白ければいいという考え方の登場。この考え方は、伝統に捕らわれない、新しい考え方である。
4)集団における個々人の怠慢。去年、何人かの先生方が「体育祭も手が掛かるようになった」と嘆いておられたのは多分ここから来る。全校集会を考えれば一目瞭然。一体僕はあそこで何回「静かにして下さい」を連発したことか。体育祭というのはみんなで持ち上げなければ面白くない。つまり手抜きの体育祭など出来っこないわけ。そして、やはりここに「高高祭を6月にしたのだから体育祭は邪魔だ、止めてしまえ。」という安直な意見が3年生の中からあったことをつけ加えなくてはならない。

 ところで、執行部は4月・5月と体育祭に代わる行事を検討したが、最後の綱だった「9月球技大会」案が体育館改装のためつぶれ結局、代案なしのままで終わった。
その後、6月からの執行部が打ち出した「体育祭復活案」には我々旧執行部は一切関与していないことを強調しておく。僕としては執行部経験のない人が、このことについて討議するのがよりベターだと思ったので、生徒総会の討議の際には一切発言しなかった。それに、旧執行部の廃止の方針を覆す発言もできなかった。そして、体育祭は復活しなかった。
それにしても、体育祭廃止は不思議な現象だ。市内の高校で体育祭が盛り上がらないから取り止め、などという話は聞いたことがない。新潟高校も、そしてあの開成高校も、体育祭「だけ」は毎年やっているというのに。まあ敢えて皮肉をこめて言えば、高田高校はその「独自性」を保った、ということか。ただ一つ、はっきり良かったといえることは、この問題を通して自分たちが意見を交わし合ったということだ。普通生徒会や行事に関心のないように見える高高生だが実はちゃんと内に自分なりの意見を「秘めて」いるのだ。そしてそのことがある限り、生徒会や行事は様々な点で改善されていくと思う。
行事が一つ減った可哀想な1.2年生に物申す。賛成が多ければ3月に球技大会をしてもらいたい。心ない3年生は、自分達で一つ行事をつぶしておきながら3月球技大会案もつぶしたが、3年生は1月に入ると行事に口出しできない。体育祭の代わりといってはなんだが、元体育祭実行委員長のせめてもの罪償いの提言だと思ってほしい。(「がんぎ」No.28平成元年)

 

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